物心ついてはじめて聞いたのは大瀧詠一のさらばシベリア鉄道だった。
大瀧詠一が歌っているバージョンだ。
もともとは太田裕美が歌ってるみたいだけど、知らなかった。
5歳か6歳か、佐賀のばあちゃんちにかえったときに聴いた。
その時親が乗っていたパルサーのなかでも、カセットできいたかもしれない。
もちろんそのときは曲名も大瀧詠一のことも知らない。
「冬の旅人」の歌だと思っていた。
メロディも歌詞も強烈に脳内に焼きついた。
「さらばシベリア鉄道」は定期的にぼくの脳内で流れることになった。
中学、高校生くらいになって「あれはなんという曲だったか」ずっと気になっていた。
時はながれて、19歳のころだろうか。
日立のブックワンではっぴんえんどのトリビュートアルバムに出会った。
空気公団とかスピッツとか好きなアーティストの名前が見えたので興味を持って買った。
はじめはジャケットの淡いパステルの雰囲気から
空気公団のアルバムのように思っていたように記憶している。
つまりはっぴんえんどをそもそも知らなかったということだ。
アルバムを聴いたあとも空気公団のアルバムと勘違いしていた節がある。
(その頃すでにネットは出現していたがぼくはまだ使っていなかった。)
今、手元のiPodを眺めてみたら、
昔のぼくは多くの曲に感慨をもたなかったようで
スピッツの「12月の雨」、くるりの「あやか市の動物園」。
空気公団の「いらいら」My little loverの「風をあつめて」の4曲しか入っていなかった。
今あのトリビュート盤が手元にあるかどうかはちょっと怪しい。
手放したように思う。
更に時を経て、ぼくが世田谷の上町に移ってきてしばらくたったある冬の日、
母親に「昔聴いていたあの冬の旅人の曲はなんというのだっけ?」と聴いて
曲名と歌い手の名前が判明した。
(もしかしたらもう少し前に聴いていたかもしれない。)
知っている曲とかピンときた曲で松本隆作詞の曲は多いけれど、
大人になるまでだれが作詞したのかあまり気にしたことはなかった。
さっき調べてみたらさらばシベリア鉄道もやっぱり松本隆が作詞していた。
細野さんはあまり知らなかった。
坂本龍一の過去の作品をさかのぼったときにYMOでうっすら知ったり、
なんとなくトリビュートを買って知ったり、という程度だ。
大瀧詠一は声が好きだったが「さらばシベリア鉄道」以外の曲はあまり知らなかったし
積極的に聴こうとも思わなかった。
なんでまたこんな思い出を書いているのかというと、
草野マサムネが歌う「水中メガネ」にうっかり涙してしまったからだ。