もし自分がフェスを開催するなら

このアーティストを呼ぶ

的なハッシュタグtwitterでみて、

自分でも呼びたいアーティストを考えてみた。

かきなぐっただけなのでタイポとかあったら指摘していただけると嬉しみ。

 

 

・Tycho
・Teen Daze
Ametsub

・The American Dollar

・Kiasmos
Helios

Tim Hecker

The Notwist
・Ms.John Soda
・13&gods
・Electric President
Lali Puna
・The Go Find
・The Autumn Empire

miaou

The Avalanches

American Football

Bibio
・Bonobo

・Bon Iver
・Cigarettes after Sex
Dirty Projectors

・Delta Sleep
・Fleet Foxes

Football, Etc.
・S.Carry
Spitz

・Slow Dive
・Thundercat

・Teebs

・TTNG

・Real Estate

 

・Go Go Penguin

・Nils Frahm
・Ólafur Arnalds
・Henning Schmiedt
・Dustin O'halloran
・Sophie Hutchings

 

タグだと8つで絞られていたけど、到底絞りきれない。

だいぶ節操ないかんじだけど気にしない。

最後のほうモダンクラシカル勢とか

フェスに呼んで盛り上がるの?的メンツもいるけど気にしない。

Morr勢はMarkus Acherひとりで何グループかけもちするつもりだよ身体もつのかよ、

とか思ったりもするけど気にしない。

(ギャラはちゃんとグループ単位で支払うyo)

ほんとはドローンよりのアンビエント勢も呼びたいけど、

みんな寝ちゃうので控えておく。

 

フェスティバルなのでみんな呼んで思い思いに楽しみたいのだ。

 

おじさんもミッキー◯ウスのTシャツを着てもよいか

いや、別に好きな服着ればいいじゃねぇか、

って話なのだけど、

今夏見た、ミッキー◯ウスのTシャツを着た40ちょいの上司の姿は、

やはりちょっと滑稽であった。

 

「〜べき」調の議論は好きでないけれど、

ファッションにおける美学でよく語られる法則なりルールというのは、

我々の想像を遥かに超える歳月に裏打ちされたものなのだなぁ、と。

 

いや、好きな服着たらいいじゃん、って話なのだけどね。

 

ぼくはおっさんになってもおじいちゃんになっても、

目立たないけど

パリッとした美しさをもっていたいと思ったりする。

 

ただあれこれ考えるのも面倒だなぁ、とも思うし、

それらを両立できる格好を考えると、

和服に落ち着きそうである。

 

寄席にいくか、

それとも生前の大沢親分の所作でも見てみるか。

世界的ニュースのあった日

朝、目が覚めると、あまりの寒さになかなか寝床から出られず、

普段なら職場へ出るギリギリの時間まで

ぼくは布団のなかでごろごろしていた。

いかんなぁと思いながらようやく布団から抜け出すと足がふらつく。
体制を立て直したところで熱がまだひいていないことに気づいた。
体温を計ったところ39℃を超えている。
(このとき前日から体調を崩していた。)

 

iPhoneからslackの会社のチャンネルへ、休むことを詫びる書き込みをする。
口をゆすいだあとに一口水をのみ、また布団の中に戻る。

掛け布団の中から右手を伸ばしカーテンを引っ張る。
外は陽が差して明るかった。
カーテンを戻したらこのまま起きれない気がして、そのままにしておく。
だるさはとれず目を閉じる。

 

また目を開けると時計の針は12時10分を指していた。
外はどうも風が強いみたいだ。
twitterでニュースをみたところ、当直予報士が木枯らし1号を宣言していた。

 

なにか食事をとりたいと思うが、

あいにく家には水とトロピカーナ(アップル)以外に食物らしい食物もない。

しかたなくコートを着込み、ヨロヨロと外に出る。

 

風が強い。
11月の初めだというのに、強風もあいまって外気はだいぶ冷たい。
空は目が痛くなるような青さだった。
道ですれ違ったおばさんが怪訝な顔でこちらを見ている。
自分でおもっているよりもだいぶ足元がふらついているみたいだ。

 

ファミリーマートでレトルトのおかゆと水とレモンを買う。
のどがいたいのでのど飴も買った。
家に帰ってカセットコンロでお湯をわかし、おかゆを突っ込む。
相変わらず身体はだるいままだ。

 

おかゆがあたたまるまでの間、そばの丸いすに腰掛けて何気なくtwitterを眺める。
この日は2016年11月9日、アメリカ大統領選挙の投開票日だった。
ニュースでは州ごとの勝敗と、勝利によって双方が得た選挙人の数が速報されている。

 

直前のイギリスのブックメーカーでも軒並みヒラリーのほうがオッズが低かったので、
なんだかんだいいながらヒラリーが当選するのだろう、
そう思いながらぼくはおかゆにすりおろした生姜を投下し、かきこむ。

 

夕方を過ぎ、日が落ちてもだるさは抜けず、ぼくは布団に横たわっていた。
ネットを眺めると「ヒラリーがトランプに敗北を認める電話をかけた」という

フレーズが目に入ってくる。

 

どうやらトランプの勝利は確実らしい。
マジかよ。
フィードを追う。どうも本当らしい。
マイケル・ムーアの分析の精緻さに驚くばかりだ。

 

夜、リリースされたばかりのÓlafur Arnaldsの新譜を部屋でかけた。
ヴィオラの音色はどこまでも美しかったが、
この日はどうもレクイエムに聴こえてしかたがなかった。

日曜日の昼下り、あるカップルの会話

 

「明日、仕事サボって温泉行かない?って誘ったら、くる?」

 

「えぇー、わたしが休んだら仕事たまっちゃうし、無理だよ。まわりも迷惑だろうし。」

 

「そこが君のいいところだよね。美徳っていうのかな。」

 

「そうかなー? 迷惑かけるのが嫌なだけなのかも。美徳っていうか…義務?」

 

「しかしその美徳を続ける先に幸せはあるのかね?」

 

「義務感でやってたら幸せは感じないだろうねぇ」
「『ありがとう』って声かけてもらったそのとき、充実感感じるけど。」
「統計でもでてるみたいだけど、人が一番幸せを感じられるときって『誰かに必要とされている』ってことを感じられる瞬間っていうよね。」

 

「つまり、明日仕事をサボって温泉にいくことは、君にとっての幸せにはつながらない、と。」

 

「うーん…。少なくともわたしは他の友だちが働いているときに、

 仕事サボって温泉に入っても、心から『あぁ〜幸せ』とは感じられない、ような気がするなぁ」
「前々からちゃんと休みをとってれば、心からのびのびと温泉を楽しめるとおもう。」

 

「ふーん、健全だねぇ。いいねぇ。」

「ねぇ、でも、平日の昼から風呂に入るってのは本当に最高だよ。
ほとんど人がいないし、お湯はきれいだし、陽がさしていればキラキラ明るいし。」

「一度覚えたら忘れられないし、またもう一度行きたくなる。」

「明日行こうと思っているその温泉は、

 そばに小川が流れていて、すぐ近くに蕎麦屋もあるんだ。」
「風呂あがりに冷奴と板蕎麦で飲む冷酒がまた美味しいんだよね。」
「今の陽気なら、きっとせせらぎを抜ける風も気持ちいい。」
「風になびく君の髪もきれいだろうな。」
「このまえ写メで見せてくれた、浅葱色のワンピースあったじゃない。あの丸襟のおしゃんなやつ。
 あれ着ていったらいいと思うよ。きっと素敵だと思う。君の写真を撮るよ。」

 

「…」

 

「どう、行きたくなってきた?」

 

「…ちょっと。」

 

「えっ?なに?」

 

「………ちょっと、行きたくなってきた。」

 

「でしょ!? でしょでしょ!?」

 

「人に必要とされることも大事だけど、今しかできないことをやりたいよね!」
「今しかできないことをやろうよ。」

「君の24歳の5月、っていうこの瞬間はもう戻ってこないんだよ。」
「仕事はいつでもできるじゃない。迷惑、なんて思われるのも結局一瞬だけだし。」
「その時感じた幸せが、これからの人生を豊かにしていくんだよ。」
「『やらなきゃ』とか『いかなきゃ』って感情は君の人生をちっとも豊かにしやしない。お金の話じゃあないよ。」
「楽しみは先延ばしにせず前倒ししちゃおう。」
「楽しいから幸せなんじゃなくて、幸せだから楽しいんだ。」

 

「そっかー、そうだよねぇ、そうだよね。」

 

 

 

「ひぃー それにしてもだいぶ汗かいたなぁ。…そろそろ出ない?」

 

「うん。」

 

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以上のやりとりは、つい先ほどまでいた新宿の某サウナ内で交わされた会話である。

 

私は終始うつむいていたため、後ろ姿しかみていないが、

二人で会話していたのは間違いない。

一人で腹話術の練習をしていたのではない…と思う。

 

無論、本場のフィンランドにあるような男女混浴のサウナではない。

れっきとした男湯の中に併設されている専用サウナである。

 

自分を「わたし」と称していたほうは、ワンピースを着るのだろうか。

 

創造力が、試されている。

 

ボランティアに喜んで参加する人をどう思うか

不意に昨日友達にこうきかれた。

 

「ボランティアするやつって、どう思う?」

 
そんなん自分の時間なんだから好きに使えばいいじゃない、

その場ではそう思ったのだけど、
それだと話が終わってしまうので、ちょっと考えたことを

書き出しておこうとおもって今これを書いている。

 

多分、友人の質問の意図としては、自分が自由にできる時間を
(時間が有り余っているわけでもないのに)
報酬ももらえない労働に充てるのか、理解ができない。みたいなノリだったと思う。

先に断っておくと、ぼくはこれまでにボランティア活動というものに

参加したことはほとんど無い。

子どものころの町内会の草刈りとか、そんなレベルである。
ボランティア自体にそんな深い見識もない。

 

ボランティアそれ自体が目的ではなく、

参加することで誰かの役に立つことに喜びを見出していたり、

なにか知識や学びを得る目的でやるならいいのではないかとぼくは思っている。
あと、それに参加することで、

普段の日常生活では得られない充足感をめっちゃ感じられるとか。

 

フェスとか営利イベントにボランティアで参加するのは、
なんだかフェス好き人間の好意につけこんでるというか、

やりがい搾取てきなかんじがしてあまり好きじゃないなー。

と思うが、それはまた別の話。

 

ただ、だれかの役に立つ、貢献するのはいいことだうけれど、
「役に立ってる自分は価値がある」みたいな

感覚があるのであれば注意したほうがいいんじゃないだろうか。

 

もしそんな考え方をしていると、
ボランティアなり仕事なり、自分が役立っていると思うことができなくなると
「自分は生きる価値が無い」という思考になる。

 

人はただ生まれてきただけで、ただ在るだけで、生きているだけで価値があるんだ。

 

これはボランティアに関わらず仕事でもなんでも言えると思うけれど、

それを始めた動機や、どういうエネルギーでもって続けるかで、

同じことをしていてもその人ごとに得られる結果なり現実は変わってくると思う。

そのあたりはまた時間があるときに書き出してみたい。 

 

友人のこと

高校を卒業後、18〜9の時分によく遊んだ友人がいる。

 

彼は眉目秀麗といって差し支えない、少女マンガから抜け出てきたような

色白で端正な目鼻立ちをした美貌の持ち主だった。

 

兄弟は上に姉ばかり3人いるという女系家族の末っ子で、

話し方がおっとりしていてかわいい。

性格が純朴だったので、周囲からはいじられキャラとして愛されていたように思う。

 

彼とは同じ学校で、クラスは別だったので在学中はあまり接点がなかったのだが、

社会人になってからたまたま夜学で同じクラスになり、

以降よく話したり遊ぶようになった。

彼はぼくにくるりスーパーカーを教えてくれた。
エリオット・スミスを教えてくれたのも彼だった。

 

一緒に居酒屋や近所のバーで酒をのんだ帰路、
エリオット・スミスのMiss Miseryを口ずさみながら

線路沿いの細い坂道を二人で歩いてぼくの家まで帰り、

色々他愛のないことを話しながらそのまま寝入ってしまったりしたこともあった。

 

常磐道を車でひた走り、仙台まで一緒にハナレグミ(だったと思う)の

ライブを見にいった思い出もある。

彼は「会社のオヤジたちは車と野球とパチンコのことばかり話している。」
「まわりに好きな音楽を話せる仲間がいなくてつまらない。」

「好きな音楽のことを話せる友だちは本当ににーのくんくらいしかいないんだ。」

そんなことを時々ぼやいた。


それはぼくの職場も同じだった。
(営業所が違うものの、同じ企業でぼくらは働いていた)

多分、彼もぼくと同じような環境で鬱々と過ごしていたのだろう。

職場は閉塞感しかなかった。

 

ちなみにぼくはその後湯治働いていた会社を4年勤めて辞めるのだけど、

ジョゼと虎と魚たちのサウンドトラックアルバムを

美貌の彼に借りたまま引越してしまったので、
会社をやめてずいぶん後になってから「返しに行くよ」と彼に連絡したことがある。

 

その時、彼からは「いいよいいよ、あげるよ。」とメールが返ってきて、
以降そのまま会うこともなく今に至っている。

 

連絡もぜんぜんとっていないけれど、彼はどうしているだろう。
結婚してるかな。元気だろうか。

 


Elliott Smith Miss MIsery

20160124雑感

 

昨日蔦屋でたまたま手にとったWIREDが人工知能の特集号で、いろいろ読んでいた。その後別の棚で東城百合子の「家庭でできる自然療法」を見つけて、思わず買った。

電子書籍はまだでていないようなのだけれど

(他に電子化されている作品もあるので、出版社の意向じゃないかと思う)、

これは実家に同じものがおいてあって、

家においてあれば絶対役立つだろうとおもって買ってしまったのだ。

(実際に読んると生姜湿布とかかなりめんどくさそうではあるけど。)

 

そんで、A.Iが発達した未来を色々想像していたのだけど、

シンギュラリティが起きた未来でも東城百合子さんに代表されるような

自然療法は継承されているだろうか。ということを考えていた。

引き継がれないような気がする。

AIが高度に発達した未来ではナノボットが開発され、
血中に必要な赤血球も血液でなくナノボットが運ぶのだという。
要するに、血液を送り出す心臓が必要なくなるのだと。

どういうことだろう?

心臓が停止したりすれば血が止まるから、

血や酸素が体内に行き渡らなくなるから人は死ぬ。
子どものころに教わった。常識ではないか。


脳はスキャンし保存、アップロード、再生ができるという。
感情・記憶・思考パターンから体を動かす癖までその人のあらゆる要素が
別の体を与えさえすれば再現できるのだという。
魂ってなんなんだろうねっていう世界。


そのうち臓器ドナーの意思確認みたいに脳のスキャンを望む望まない、みたいなカードをみんながもつ世界がやってくるのだろうか。


そして本人は望んでいないのに家族が望み、金をエンジニア
(もはや医師ではなくAI移植専門の技術者がいるのだろう)に支払ったがために

別の体でもって再現されたお父さんが

「なんでオレを復元したんだこのやろうばかやろう!」って
怒り出すだけならまだしも色々新たな課題や問題が起こるのだろうか。
あ、でもその頃にはAIが発達してるから対策というか対処も当然考えられていそうだ。

全員が復元済みの人、みたいなSF家族も現れるのだろうか。

あーでも細胞が残っていればそこから元の体も再生できるから

同じ体で同じように生きる人も現れそうだ。

なんだかよくわからくなってきた。

人口はどうなるのだろう。

 

シンギュラリティが起きるのは2045年と言われているので、

ぼくも生きているかもしれない。

シンギュラリティとAIは人々の死生観にどんな影響を及ぼすのだろう…

うーん、ぽっくり死にたい。 

 

 

あ、ちなみに今日本屋で最後に立ち読みした本はこの書籍でした。